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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

クリムト展 ウィーンと日本1900@東京都美術館 2つの「クリムト展」/クリムトとゴッホ

GWですがサービス業の宿命でキリキリ働いています。
3月・4月を駆け抜けてかなりグロッキーだったのですが、なんとか生きています。
悲しいことに3月は展覧会0という余裕のなさっぷり。
好みストライクではないものにも足を運ぶという体力・気力の余裕がなかったのが理由です。
さすがに4月は何か観たい!と思い、4/26にクリムト展 ウィーンと日本1900@東京都美術館に行ってきました。

GW前半は軽井沢に出張だったので、新幹線に乗るギリギリまで展覧会→そのまま新幹線に飛び乗るというエクストリーム参戦でしたが、なんとかなってよかったです。
4/26は金曜日で開館が20時までだったのも幸運でしたね。
思ったより時間が長かったのでゆったり観ることができました。
混み具合は人の流れはあるものの、人混みというほどは気にならない程度でした。
タイミングが合えば作品も独り占めできる感じです。

展覧会の感想を書くのが久しぶりなので心配ですがとりあえず書いてみます。
公式は下記より。
【公式】クリムト展 ウィーンと日本1900

国立新美術館クリムト展との違い

ほぼ同時期に開催されているウィーンモダン クリムト、シーレ 世紀末への道@国立新美術館も、クリムト作品が来日することで注目されています。
《エミーリエ・フレーゲの肖像》がメインビジュアルになっていることからも、クリムト作品が展覧会の大きな目玉になっていることが伺えます。

ですが展覧会のタイトルと出展目録を見る限り、こちらのテーマは世紀末のウィーン美術全体のようです。
そもそもこちらは日本・オーストリア外交樹立150周年記念の展覧会なんですよね
後援にオーストリア大使館だけでなく、ウィーン市やウィーン市観光局が入っているのもポイントかと思います。

対して、都美の方はがっつりクリムトが中心の展覧会でした。
弟達や友人のフランツ・マッチュ、影響を受けたハンス・マカルトの作品もありましたが、あくまでクリムトその人を浮き上がらせる意味合いなのではないかと。
こちらも外交樹立の件は(確か)展覧会そのものの冒頭で触れられていましたが、クリムト自身に焦点が当たっていましたね。
こちらの後援はオーストリア大使館のみでした。

なので、同じ時代・同じ画家を扱っていても国立新美術館はマクロな視点・都美はミクロな視点という感じですね。
同時期にこんな展覧会が2つも開催されるなんてアツすぎます。
キュレーションって面白いなとつくづく思いますね。

クリムトゴッホ


《丘の見える庭の風景》1916年、油彩・カンヴァス、カム・コレクション財団(ツーク美術館)
※公式HPより引用

パッと目に入ったときに「なんかゴッホっぽい?」と思ったら解説文でもゴッホに触れられていて非常に興奮した作品。
いやーびっくりびっくり。

どこからゴッホ感を感じたのかという話なのですが、解説文によると黒い線で輪郭を取っていることがゴッホの影響を受けている箇所であるとのこと。《アイリス》とかですかねえ。
ゴッホ感を高める厚塗りかどうかについては、あまりにも興奮しすぎてうっかり絵肌まで観察するのを忘れてしまったのでなんとも…痛恨のミスでした。

個人的には、草や木々の上へ上へと立ち昇るような気配が《糸杉》と似ていると思いました。
草や木の活き活きとした描き方と、模様みたいな少し無機質さもある描き方の花々の対比が面白いですよね。


ベートーヴェン・フリーズ》(部分)1901年、セセッション館

合唱する女性たちの足元に咲き乱れる花と、女性たちの衣服の模様はほぼ地続きになっています。
こちらと比べると《丘の見える庭の風景》はまだ生命力が感じられますが、両作品とも、特定の繰り返される模様や図形を敷き詰めた感はあるかな?と思います。
花の生命力に主眼があるのではなく模様としてかっちりハマる美しさに興味がある、といったところでしょうか。
正方形という枠組みも、人工的なかっちり感をさらに引き立てていますね。虚構性も感じます。

また、実際のところどんな繋がりでクリムトゴッホを知ったのか、という部分は非常に気になりました。
日本に影響を受けているという共通項があるのは確かですが、特定のイメージソースがあったのかどうかはとても知りたいですね。
ここは追々検証できたらいいなと思っています。

あと気になるのはやはり、青と金(黄)の組み合わせを決めてくる色彩感覚の類似なんですよね。
《ユディトⅠ》しかり、《エミーリエ・フレーゲの肖像》しかり。
※後者は国立新美術館の展覧会の方のキービジュアルになってますね!

興味深いのは《ベートーヴェン・フリーズ》における不摂生を象徴した人物の衣服がこの青と金の組み合わせであること。


ベートーヴェン・フリーズ》(部分)1901年、セセッション館

作品全体で見てもこの人物だけが青を纏っているのでなかなか目立つんですよね。
《エミーリエ・フレーゲの肖像》のような作品と「不摂生の象徴」になぜ同じ配色が使われているのでしょうか?

この青と金問題については次回、もう少し掘り下げて考えたいと思います。
せっかくなので国立新美術館で実物の《エミーリエ・フレーゲの肖像》も観てから結論を出したいところです。