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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

【ネタバレあり】ファースト・マンを観てきました

それも、朝の8:45から。
催事が終わった解放感で普段なら家でだらけちゃうところだったのですが、スタバのさくらプロモーションにオタクとして参戦したついでに、じゃあ映画も観ちゃおうかな〜みたいなノリで並んでいる間にチケットを取ってしまいました。

ファースト・マン及びラ・ラ・ランドのネタバレを含みます。

去年の終わりから今年にかけて個人的に空前の映画ブームが来ています。
主な要因はボヘミアン・ラプソディにどハマりして3回観に行っていることです。
(この件はまだ下書きにいるのですがそのうち記事として上げたいと思っています。IMAX最高)

あとは写真を仕事の一部として真面目に取り始めたのを機に、画面の構図とか意図をちょっとずつ読み取れる様になってきたのが楽しいのかなと思っています。
大学生の時も映画学の先生がいたので基本的な映画の見方みたいなものは教わってたんですけど、ついストーリーに引きずられてしまって画面の細かいことは全然分からないままだったんですよね。

そんな映画への苦手意識をぶち破り、映画と評論、様々な感想の世界ってめちゃくちゃ面白いな!?と気づかせてくれたのがラ・ラ・ランドだったのでした。

ラ・ラ・ランドの振り返り

Twitterに書きなぐった感想を推敲してElloに、そしてさらにこのブログに載せる時にもう一度推敲したのがこちら。

相手の夢が自分の夢になるくらい愛していた。
相手の夢のために自分の夢を殺すくらい愛していた。
でも、お互いの愛し方が違っていた。
どちらも責められない、ままならない、でも美しい人生のひととき。

単純なハッピーエンドでないとうっすら聞いていたので、もっと相手が夢を叶える過程での嫉妬が描かれるのかと思った自分が恥ずかしい…自分がいかに嫉妬まみれなのかがバレる。

「ずっと(夢への扉を叩き続けたお互いのことを)愛している」ことを確認できたという意味ではハッピーエンドなのかな。
最後のシーンの「高速を降りた先」、選ばなかったIf、パラレルワールドの符号は個人的に刺さった。

振り返ってもどうしようもないけれど振り返らずにはいられない、でもきっとミアもセブも出会ったことを後悔しないだろうなと想像して泣けてしまった。

こんな感じですね。
いま改めて考えると、ラ・ラ・ランドで描かれていたのは互いを夢ごと愛してしまったことによって起こる後々のすれ違いだったのだと思います。
だから別に嫉妬ではないのですよね。
夢ごと愛してしまったからこそ、夢と違う方向に行ってしまうことの方が許せない、そんな関係だったわけで。
だからミアは本来望んでいたものとは違った形で音楽活動をするセブのことを許せなかったし、夢を諦めようとするミアの背中をセブは押したのかなと。

それぞれが夢を追い、叶える過程では絶対に欠けてはならないピースだったけれど、叶えた先でも必要なピースではなかったのが切ないところです。

ファースト・マンの感想

まず、とにかく私は怖かったです。

まず全編通して、視界のボケ方とか、ホワイトアウトする寸前の描写が生々しい。
怖がらせるための怖さでらなく、ずーーっと死の匂いと緊張感につきまとわれているような感覚です。

計器類の動きや質感による、よくこんなので宇宙に行ったなあ…という怖さもありました。
例えが適切かどうかは分かりませんが浅草花やしきのジェットコースターが動いてる怖さを連想しました。

最初のシーンでひとつ判断を間違えれば死、という全体の構造をガツンと示してくるので、以降はだんだん全ての台詞、音楽すらもフラグに思えてくるんですよね…
甘美な音楽が流れれば流れるほど、このあと何かあるんじゃないかと思ってしまうという。
ああ上手くいったやったぞ、と思った瞬間にパニックに突き落とされます。何度も。

この冒頭シーン、大気圏を見て、感じてしまったことがニールの運命の始まりだったのだということも示唆しています。
ひとつ判断を誤れば死という状況の中で掴んでしまった夢(の欠片のようなもの)という、よく考えるとすごいシーンでもあります。
でも本当に怖い。

また主人公ニールの感情が娘の死を機にだんだん見えにくくなるのも興味深かったです。
アポロ11号の船長に選ばれ、NASAからの迎えを待つシーン。
息子たちに何も告げずに旅立とうとするニールと、それを咎める妻ジャネット。

帰ってこられない可能性があることを息子たちに伝える必要がないと思ったのか、それとも伝える必要がないと思っていたのか。
映画『ファースト・マン』月面着陸ニール・アームストロングの息子が伝えたいこと ─ 「成功とは、備えと機会が出会うところにある」 | THE RIVER
こちらの記事を読んで、実在のニール自身は、「何かトラブルがあっても必ず原因を突き止める。だから成功するだろう」という認識だったのだろうか、と思いました。

ただ映画では、「不安は口に出してはいけないと考えており、また不確定なことを伝える術も持っていなかった」という印象でした。

直前のシーンで描かれる記者との応酬への答えと、
息子から「帰ってこれる?」と聞かれたときの答えが同じなのです。
なので、まるで家族の前でも虚勢を張っているようにも見える、とても痛々しいシーンだと思っていました。
その理由はクルーのリーダーとしての責任から家族の前でも逃れられなかったからなのか、などと考えていましたが、上のインタビューを読んで少し印象が変わりました。
ここはもう1度映画館で確認したいところです。

ラ・ラ・ランドファースト・マン

ありきたりですが、私がデイミアン・チャゼルが貫いていると感じるテーマは、やはり「夢追い人が辿る運命」だと思っています。
セッション未見なのであんまり滅多なことは書けないですが…

ラ・ラ・ランドのテーマが「2人の夢追い人の、束の間の運命の交わり」だとすると、ファースト・マンのテーマは「夢に取り憑かれてしまった瞬間(の様なもの)から始まる自身と周囲の地獄と、束の間の解放」だと思います。

ラ・ラ・ランドは割と2人の世界って感じですが、ファースト・マンは周囲の地獄、が入るところがポイントです。
あとは取り憑かれた瞬間(の様なもの)が明確に作中で描写されているのもちょっと踏み込んできたのかなと。

家族の団欒の描写もちょこちょこ入りますけど、「子どもは外で遊んでて」(厳密には「外で遊んでもいい?」ですが)や、ちょっとした罰を与えているようなシーンが地味に多くて、愛があるように見えつつ不穏さも孕んでいるように感じました。

息子と遊んでいるシーンでニールが「冷蔵庫の中に入れちゃうぞー」的にふざけるところがあるのですが、狭いところ=宇宙船=死の匂い、と繋がってしまって正直ヒェッと思いました。
とは言え、先のインタビュー記事では実在のニール自身は家庭内ではチャーミングだったようなので、私の考えすぎかもしれません。

しかし、だからこそ月のラストからの畳み掛けが光るんですよね!
あれは指でやるからいいんですよ!
ガラスに指紋がつくところにもこだわりを感じました。
恐らく、指はニールの愛情が最も表れる部位なんですよね。
早くに亡くなってしまった娘の髪を梳くシーン然り、ラストのラスト然り。
その後はどうなってしまっても、あの瞬間のあの愛は本物であってほしいと心から思いました。

というわけで、ラストでぐいっと心を抉っていくのは2作共通でした。

エンドロールに流れるこの曲にぐわっときて自分でも引くほど泣いてしまいました。

ラ・ラ・ランドのいわゆるifシーンの音楽も壮絶に泣かせるのですが、こういう「映画全編のキーになる音楽を組み合わせて最後にどかんと流す」手法が凄まじく上手くてですね…
好みだとしたら監督と作曲者ジャスティン・ハーウィッツのどちらのものなのでしょうね。

あとはどちらも高音域、フルートやテルミンの息遣いっぽさが残る音作りが好きだなーと思っています。
低音ももちろんかっこいいのですが、華麗な中に滲ませている人間味に個人的にはときめいています。

ちなみにラ・ラ・ランドはいくつかサントラにバージョンがあるのですが、1番映画の結末を表してるジャケットはこのバージョンだと思います。


よく見る紫のものも素敵なんですけどね。
とりあえず近々セッションを観る機会を作って、また考えようと思います。
後はIMAXでもう1度恐怖を味わいたいです。