placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

コートールド美術館展+『長寿と画家—巨匠たちが晩年に描いたものとは?』感想

2019年が終わってしまうので、なんとか精算するべく調べ物を進めています。
来年は東京の会期中に記事が上げられるようにしたいものです……

ということでコートールド美術館展@東京都美術館の感想です。
今回はマネが大好きな夫と一緒に行ってきました。

公式サイトは下記より。

また今回、画像はTHE ATHENAEUMより引用しています。

セザンヌとコートールド氏

コートールド美術館は、ロンドン大学コートールド美術研究所の美術館で、実業家であったサミュエル・コートールド(1876-1947)が築き上げたフランスの印象派・ポスト印象派のコレクションが基盤になっています。
さらにコレクション形成だけではなく、イギリスの美術館が作品を購入するための基金も創り、来年日本にやってくるロンドン・ナショナル・ギャラリーの《ひまわり》の選定にも携わっていたとのこと。
国家に素晴らしい作品を、という点では松方コレクションと通じる部分もありますね。
今回は改装ということで、まとめてコレクションが日本に巡回してきたそうです。

コートールド氏の言葉もいくつか展示の中で紹介されていたのですが、最も感銘を受けたのが、彼がセザンヌの作品に出会った際のことを回想した言葉です。

「その瞬間私は魔術を感じ、それ以来ずっとこの画家の魔術にかかったように感じている。」

自分の目と心に響いた衝撃に対して、こういう言葉が出てくる人が羨ましい限りです。
ゴッホに取り組んでいたこともあり、画家自身の手紙や手記が好きなのですが、コートールド氏のようなコレクターの言葉もまた素晴らしいですね。
来年は少し言葉周りを強化したいなぁとも思っているので、腰を入れていろいろと読んでみるつもりです。

松方コレクション展でセザンヌの魅力に気づいたこともあり、ここでもがっつりセザンヌを観ることができたので、ひっそりと心の中で盛り上がってました。

ポール・セザンヌ《レ・スール池、オスニー》1875年頃、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

冴え冴えとした緑がさっと目に飛び込んでくる作品です。
水面の映り込みの直線的な感じが少し不思議。
ペインティングナイフが使われているとのことで、絵肌がちょっと変わってたのが面白いなと思ったのですが、何がどうだったのかメモに全っ然書いてないという痛恨のミス。
今年は結構そういうこと多くてダメだなあ……


セザンヌ《大きな松のあるサント=ヴィクトワール山》1887年頃、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

お馴染みのサント=ヴィクトワール山シリーズ。
先日、温泉に入りにひとりで新潟まで出かけたのですが、電車から見えた山々がとても綺麗だったんですよね。

いまのところ山は見えないエリアでしか暮らしたことがないため、同じ山をずっと描き続けるということについて実はそこまでピンと来ていなくて。
まあ近くに山があればそういうこともあるかな……などとふざけたことを思っていました。
が、こういう車窓をずっと眺めていても全然見飽きなくて、あ、これは確かに面白いし何枚も描きたくなるな!とようやく腹落ちしました。


セザンヌ《キューピッドの石膏像のある静物》1894年頃、油彩・板に貼られた紙

今年のあれこれを経験していたタイミングで観たからこそ面白く思えたのだろうな、という作品。
目で見たときの配置の心地よさと、絵画としてひとつの画面に収めきるための配置の差異。
りんご、石膏像、布、テーブルなど、それぞれの物質が持つ重みやリズムは、絵画上であれば自由に変えることができる。
セザンヌを通して「見る」「描く」ってなんだろう?ということを今年は今までになく考えたかなと思います。
 

モネの大気の捉え方と、晩年を生きるということ


クロード・モネ《アンティーブ》1888年、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

セザンヌと同じ、画面の手前左に木のある水景という構図ですが、雰囲気がまたがらりと違うのが面白いですね。
透明感のある桃色、オレンジ色が入ってくると途端に甘くなる、というか……
濁りがないので画面が明るく、この絵の主題は陽光そのものや、その陽光を受けた大気ではないかと感じています。
同じ甘やかさでも、ルノワールとはまたちょっとニュアンスが違うのがまた興味深いですね。
ルノワールはどちらかというと、人間の肌と光の関係だったり、布のきらめきや透け感などに魅力を感じてたのかなあと思います。


クロード・モネ《秋の効果、アルジャントゥイユ》1873年、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

反射、セーヌ河の水のきらめきが存分に味わえる作品です。
《アンティーブ》と比べて、こちらの大気はもう少し温度が低いというか、ちょっとしっとりした感じですね。
アンティーブは南仏で夏のバケーション地、一方アルジャントゥイユはパリ近郊なので、そもそもの光や大気の感じが違うんですね。
そこに秋の日差しの効果も加わり、少し落ち着いた印象です。
この描き分けができるのがモネの眼と技術の恐ろしいところです。

ちなみに、この作品が描かれた1873年というのは、第1回印象派展の前年に当たります。
この時のモネは33歳ですかね。
水面と陸面の境目がほとんど感じられない点は、晩年の《睡蓮》の連作に通じるような、モネの水面への反射と物体の関係性への興味、物の見方が既に現れているのかなと思っています。

長寿と画家  ──巨匠たちが晩年に描いたものとは?

長寿と画家 ──巨匠たちが晩年に描いたものとは?

  • 作者:河原 啓子
  • 出版社/メーカー: フィルムアート社
  • 発売日: 2019/07/26
  • メディア: 単行本

少し前からこちらの本を読んでいます。
モネも「長寿の画家」の1人である一方、その晩年は目の病気に苦しめられたことは良く知られています。

この本のモネの項では、興味深いことにセザンヌのモネ評が引用されています。

モネは、画家として常に新しい創造世界を拓いていくといったタイプではありませんでした。このようなモネに対して、セザンヌは、「モネはひとつの素晴らしい眼によって描いた」と言ったそうです。この言葉は称賛しているように思われますが、その一方で、「ひとつの眼」という表現は、視野が狭く近視眼的であることを仄かしてもいます。

この後、河原氏は「モネは印象派から新たな世界を発展させる才は持ち合わせていなかったかもしれないが、長年培ってきた“特別な眼”によって描いていた」と述べています。

わたしはモネの「ひとつの眼」が“特別”であるのは、ひとえに観察力の高さ、そして探究心の強さにあると思います。
・大気、光のニュアンスを読み解くずば抜けた観察眼を持っていた
・ひとつのモティーフの差異を見抜き、さらに飽くことなく探究し続けた
・「ひとつの眼」で「観た」ものを画面に再現し得る技術を晩年まで探究し続けた

この3つが、モネを“印象派の巨匠” にしたのではないかと。
河原氏の言葉を借りるとモネは「新たな世界を発展させた」わけではない。
でも、印象派という自らが始めた絵画への探究を晩年まで長く続けることができるというのもまた、素晴らしい画業ではないかなと思います。

これは私見の極みですが、モネが86年の生涯を捧げて、ブレることなく「ひとつの眼」を使い続けたからこそ、印象派という一時代のムーブメントがここまで強く堅牢なものとなり、だからこそ今日まで私たちを虜にしているのではないのかなと。
とても想像が膨らみますね!

もちろんその道のりは険しく、見えなくなっていく眼や、一瞬の光の揺らぎを絵に残すことの難しさに苛立ち、苦しんでいたことが手紙のやり取りに残されています。


クロード・モネ《花瓶》1881年着手、油彩・カンヴァス、コートールド美術館

解説によると、この作品は1881年に着手したものの署名はされず、1920年頃に加筆されようやく署名されたという見解になっているそうです。

41歳頃に着手した絵に納得がいかず、80歳でもう一度手直しし、やっと納得して署名するってなかなかできないですよね。
いやー、ちょっと想像がつかないです。

この作品の経緯からも、モネの“眼”の強さがとんでもなく飛び抜けていたというのが伺えます。
たとえ実際の視力が衰えていたとしても、やはり探究心や、観察した結果を絵に落とし込む上でのアイディアや技術は衰えず、どこまでも食らいついていけたというのがモネの素晴らしいところです。

実は『長寿と画家—巨匠たちが晩年に描いたものとは?』を買ったのは、コートールド美術館展のだいぶ後のことでした。
ですが、この作品の経緯と「長生きと感性の瑞々しさ」というフレーズが会場でのメモ書きに残っていました。
長く生きることと表現の関係や感性の保ち方などについて、会場でも気になっていたんでしょうね。

この本と出会えたのは偶然ではあったのですが、わたしが会場で興味を持った点についてドンズバで書いてあり、非常にすっきりしました。
モネを含め15人の画家が取り上げられているのですが、1人辺りは意外とコンパクトにまとめられており、柔らかなトーンなのでとても読みやすいので気に入っています。
生きること、仕事することとは……みたいに、自分の人生にも引き付けて考えられますし、やっぱり巨匠も生身の人間であるという基本的なことにも立ち返ることができる、いい本だなあと思います。

スーラやゴッホのような、短命の画家バージョンも読んでみたいところです。
長寿の画家たちの、生き続けること・変容していくこととはまた違う、生命の一瞬の輝きみたいなものが言語化されたら、またそれもすごく、現代の私たちが「生きることを考える」糧になるんじゃないですかね……どなたか是非に。

こうなってくると、モネの書簡もとても面白そうですね。
セザンヌの理論派っぽい感じの文章も、他の展覧会でちらっと読んで気になってはいるのですが……
来年はどっちかは手を付けたいところです。

ラーニングウォールがよかった

主要作品の解説がきめ細やかでいいねえ、と思っていたら、公式からも熱いアピールがあって笑いました。
画面内に描かれているものをひとつひとつ言葉で描写するのって、実は非常に難しいんですよね。
わたしもあんまり得意じゃないです。
もうちょい大学できちんと鍛錬すべきでした……
なので、このような細やかな解説パネルがあるのは個人的には非常に良い取り組みだと思います。
今回キービジュアルにもなっているマネ《フォリー=ベルジェールのバー》は特に情報量が多いので、まずはこうして整理することはとても大切かと。

そしてさらっと「室内を照らす人工照明が絵画に描かれたかなり早い例」という解説がついていたので、この件はめちゃくちゃ気になってます!調べたい!