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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

美術史を学ぶ意味を自分なりに考える

ここ最近、わかりやすい世界史やインフォグラフィックで分かる哲学などの「手早く理解できる教養ブーム」が来ているように思います。
もう少し前は「学び直し」ブームでしたけど、最近はそこに手早くが加わっている感じがします。
その中に西洋美術史も含まれているので、その傾向について考えてみました。


美術史を学ぶ意味・ビジネス編

西洋美術史に関しては、やはりグローバル化が進んでいるからでしょうね…語学だけが分かっていても、文化の背景が分からなくて苦労した局面が多かったからではないでしょうか。
そこで、そういうものを出来るだけ手早く理解できるものが欲しいという需要が生まれたのではないかと推察しています。
日本美術史に関しては逆に、自分の文化の背景を知らない相手に説明することは案外難しいぞ?ということに気づいたからでしょうね。
出来るだけ手早く理解したいというところが、多分ビジネス的にポイントなんだと思います。

私自身はそういうグローバル的状況になったことがないのでなんとも言えないですけど、西洋美術史を改めて通史で学び始めてから、古代ローマギリシャがヨーロッパ世界に与えた影響力の強さには非常に驚いています。
なので、相手の根底に流れる様々なものを少しでも知っていた方が色々なことが円滑に進むのだろうと想像しています。
全てを正しく知ろうとすることは難しくても、関心を持っていることを示されて不快に思うことはあまりないでしょうしね。

あとは思考や物の捉え方のトレーニングにもなってるのではないかと思います。

例えば印象派を例にとってみます。
特にフランスではかなり長い間、古典古代、ラファエロプッサンの残した芸術が規範とされていたがために、モネを始めとする印象派の画家たちの「いまこの瞬間」を捉える試みは「描きかけだ」と酷評され、なかなか評価を得ることができなかったという背景を知ると、彼らの作品の光に溢れた色合いが途端にアヴァンギャルドで異質な物に見えてくる…なんてことがあるかもしれません。


クロード・モネ《ウォータールー橋、霧の効果》1889-90年、エルミタージュ美術館


クロード・モネ《睡蓮》1914年、国立西洋美術館

いま私達が一般に「現代アートって荒々しいし、解説が多くて難解だよね」という感覚を現代アートに感じることがあるのと同じように、モネの作品も発表当時はそう思われていた、ということが分かると、モネの見方だけでなく現代アートの見方もひっくり返るんですよね。
いま行列してまで観たいモネと、とっつきにくい現代アートに何か繋がりがあるかもしれない?ということが見えてくるんです。
横浜美術館のモネ展に感化されたわけではないですが、美術史を知ることで、自力で何か繋がりが「見えるようになる」ことはあるように思います。

そういう意味で、美術史を学ぶことは「思い込みを外す力」や「繋がりを見出す力」的なもののトレーニングに間接的に役立つのかもしれないと思います。
あくまで間接的にではありますけど、これは自分で振り返ってみて、アイディア出しみたいなときに役立ちそうだなと感じますね。

ちなみに「解説が多い」というのは、近代以降の画家は書簡や日記で言説が数多く残っていることが多いというところからの私の想像です。
現代アートも作者の言説が作品と密接に関わっているという点では近代以降の画家とあまり変わらないんじゃないかな?とこの頃思います。
違いは発言がリアルタイムか130年前かくらいなんじゃないですかね。
(書簡が有名なゴッホで計算すると、2018マイナス1888でちょうど130年前になります)

私が美術史を学ぶ理由

トラウマワード払拭のために、私自身が美術史を学ぶ意味についても改めて掘り下げてみました。

色々考えてみたのですが、私の場合まず第一にあるのは好きになった作品や画家の背景や文脈をとことん知りたいという欲求です。

心惹かれる作品に出会った時に私の頭によぎるのは、その画家がその作品を生み出すに至った経緯を知りたいという感情です。
逆に言えば、知りたいという気持ちが生まれる作品が好きなんですよね。
「あ、知りたいな」と思ったときには多分その絵に落ちてるんだと思います。

そうして文脈を辿っていくうちに、その画家と社会が時代の中でどうコネクトしていたのかというようなことを知るのが楽しいんです。
あとは同時代の中でも様々な画家がいて、時代の空気に影響されながらも滲み出る個性を探すのも好きですね。

もちろん綺麗・美しいという感覚や分からないという感情も湧きますが、自分が絶望的に絵がかけないために、実は自分の感性に自信がないんですよね。
しっかり絵の画面そのものを分析することが極端に苦手なので、感性の不安を補うために文脈を追うようになっていくうちにその楽しさに目覚めたという面もあります。

私達は後世の人間ですし、そもそも画家と私達はそれぞれ別の人間なので、画家の意図や作品の真相は絶対に分かることはありません。
でもそれを考えること・それを研究する人がいることにはものすごくロマンを感じます。

なので、美術史を学ぶことで、好きになった絵や画家の実像を結ぶためのレンズをたくさん増やしていけたらいいなという思いで改めて勉強をしています。
もちろん美術検定のことも頭にはありますが、いまは単純に手持ちのレンズが増えることそのものがとても楽しいです。

じゃあそもそも何故西洋の絵画が好きになったのか、ということについては、書くと長くなってしまうのでまたの機会にしたいと思います。