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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

三浦しをん『ロマンス小説の七日間』:わかるようでわからないパートナーの気持ち

#名刺代わりにの小説10選、今回は三浦しをん『ロマンス小説の七日間』です。

【いままでの振り返り】
西の魔女が死んだ:梨木香歩
キッチン:よしもとばなな
蜜蜂と遠雷:恩田陸
ジヴェルニーの食卓:原田マハ
グアテマラの弟:片桐はいり
博士の愛した数式:小川洋子
ロマンス小説の七日間:三浦しをん
僕と先輩のマジカル・ライフ:はやみねかおる
鹿男あをによし:万城目学
勾玉三部作:萩原規子

いまはこの表紙じゃないみたいなんですけど、この表紙の方が世界観が出ていて好みです。

ここまで名刺代わりとして紹介きてきた作品の傾向としては、蜜蜂と遠雷、ジヴェルニーの食卓、博士の愛した数式などのように世界の美しさに恋をしてしまった人とその周りの物語が比較的多かったかと思います。

しかし『ロマンス小説の七日間』は女性視点から見る、性愛としての恋や愛、パートナーとはなんぞや?という心の揺らぎが書かれています。

恋におけるある意味でのみっともなさや切なさ、慣れてしまったが故のやるせなさやちょっとした狡さに満ちてはいるんですが、湿っぽさをほとんど感じない仕立てになっているところが好きです。

長らく付き合うが故の感情描写が見事

本作の主人公・ロマンス小説の翻訳家であるあかりとそのパートナー神内の、5年間にわたるパートナーのとしての形は、次の文章で示されています。

長く一緒にいたおかげでいいことがあるとすれば、互いの呼吸も手の内もだいたい把握して、忍耐力と経験が培われたことだろう。海が荒れたら船は出さない。波が凪ぐのをじっと待ち、面倒なことは先送りにする。熟練の漁師みたいな神内と私。

まったくの私事ですが、夫と私も彼氏彼女時代が長かったので、この文章に大いに共感します。

夫がどうかはわかりませんが、私の方は職業病も手伝っているのか、夫の手の内はだいたい読めちゃいますね。
今日の料理で出したもので何が1番気に入ったかとな、出掛けてるけどそろそろ帰ってテレビが観たいんだな、とか。

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そんな「手の内の知れた」仲のあかりと神内の関係は、神内が唐突に会社を辞めてひとりで放浪の旅に出ようとすることから大きく動き始めます。

(神内の悪いのはあかりには旅に出ることを言っていなかったこと!なぜ長い付き合いのある人に最初に言わないのさ!と、読み返すたびにこの件は自分ごとの様に憤ってしまいます…)

あかりの心を映す翻訳と神内の「冬眠」は同じ

神内の突然の退職と放浪宣告(しかも微妙に神内を狙っているそぶりを見せる恋多き女性・まさみちゃんから知らされた)を受けて、あかりが翻訳していた歴史ロマンス小説はの内容は心の乱れを反映してか、どんどん原作から外れて暴走していきます。

この暴走ぶりが見事なんですけど、多分きちんと訳すよりこの暴走してる話の方が面白いんだろうなと思います。

吐き出せない気持ちを抱えている時に、書くことでしか癒せない人は絶対にこの世にたくさんいると思います。
私自身もこの、書くことで気持ちを落ち着けるタイプだとブログを書いていて思います。
なので暴走はともかく、書くことであかりが自身の神内とのパートナーとしての在り方を模索する姿勢にはとても共感しますね。
本来やるべきことは翻訳なのに、混乱のあまりつい自身の感情が乗ってしまう、というのもわかる気がします。

一方で、自由奔放かついい加減に見える神内も、どうやら自分には会社を辞めて放浪の旅に出る必要があるのだ、ということを後にあかりに不器用に打ち明けます。
あかりは、神名自身にも言葉にできないその気持ちをを「冬眠」と理解します。
お互いの手の内がわかっている関係だからこそ、神名自身がはっきりとは掴めていない気持ちを、あかりはここでそっと理解できたのだと思います。

この場面は割とひっそりとした場所にあるのですが、私としては2人の関係性の長さと強さが胸に迫る、静かなクライマックスだと思っています。

ちなみに、問題となる作中作のロマンス小説のヒロイン・アリエノールと、婚約者の騎士ウォリック、その従者のシャンドスとの関係は陛下から命じられた突然のものであるという、「慣れた2人」との対比になっているのも興味深いですね。

「自分の魂のすべてを賭けて遊んでいる」キャスリーン、アリエノールの乳姉妹であり侍女として付き従うマリエ、あかりの友人で「いわゆる『おつきあい』をしたことがない」百合、恋多き女で神名にも興味を見せるまさみちゃんなど、2つの物語を様々な女性と恋の関係性が取り巻いているという部分も面白いなと思います。

あかりと神名、あかりによって作られたアリエノールとウォリックとシャンドスの2つの「ロマンス」の結末は、ここで踏み込み過ぎると野暮になってしまいそうなので、ぜひ実際に読んでもらえたらと思います。
どちらもとても綺麗な「大団円」です。