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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

ターナー 風景の詩展@損保ジャパン日本興亜美術館 感想

ターナー 風景の詩展@損保ジャパン日本興亜美術館に行ってきました。

オール・ターナーなのでその世界にどっぷり浸ることができます。
東京での会期がそろそろ終わるからでしょうか、土曜の昼時でも結構混んでいました。

ターナー展 2018|京都・東京・郡山

今回いいなと思ったのが展覧会の作品リストです。

ちょっと見にくい写真ですみません。
作品を描いた時の年齢が併記されてるのは珍しいと思いました。
こういうのは調べ物する時にもありがたいですね。
頭の中で時系列を整理するのに役立ちます。

あとは各地を旅した画家ということでイギリスやスコットランド、イタリアの地図も載っていました。

エッシャー展でも会場に地図や位置関係がきちんと示されていましたが、こんな風に作品リストに地図が載っていると、気になった時にすぐ手元で確認が取れるのでいいですね。
それだけターナーが「旅する画家」だったのでしょう。

構成と感想

第1章 地誌的風景画

今期の東京の展覧会はプーシキン美術館展を始め、旅と風景画に焦点を当てたものが多かったですね。
エッシャー展でも風景画にかなりの作品が集まっています。

ターナーという人物は18世紀後半から19世紀にかけてのイギリス・ロマン派として位置づけられます。
が、個を追求するロマン派とはある種対立するはずのイギリス・アカデミーの正会員としても活動しているのが面白いですね。
「風景画家」としてターナーが求められていたことはどこの場所を描いているのかパトロンにしっかり分かるようなものを描くことでした。


ストーンヘンジ、ウィルトシャー》1827-28年、ソールズベリー博物館
https://www.japantimes.co.jp/culture/2018/03/13/arts/turner-landscaper-art-genres/より引用しています。

これはターナーが52-53歳の時の作品です。
パトロンの要望である「どこが描かれているか」が明確であり、かつ古代趣味も満たしている作品です。
翌年に同じものが版画でも刷られているので、恐らく人気を博したのだと思います。

第2章 海景ー海洋国家に生きて

ターナーと言えばこのような海と船の絵を思い浮かべる方が多いと思います。

《タインマウス小修道院》1822年頃、ブラックバーン博物館アートギャラリー
ターナー展 北九州◆公式 (@turner_kitakyu) on Twitterからの引用です。

こういうターナー特有の波飛沫をたくさん観たので、JO MALONE LONDONのウッドセージ&シーソルトのイメージが頭から離れなくなりました。
色々思い返してみたのですが絵画作品において塩っ気を感じる海や波の描写は案外少ないような気がします。

例えばプーシキン美術館展の記事で取り上げたこちらの作品の海からはあまり塩っ気は感じられないな、と。


フェリックス・フランソワ・ジョルジュ・フィリベール・ジエム《ボスポラス海峡》19世紀前半、プーシキン美術館(参考作品)

ビュールレ・コレクションで来ていた「都市景観画」の名手カナレットの海(水)とも異なりますね。


カナレット(アントーニオ・カナール)《サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂ヴェネツィア》1738-42年、ビュールレ・コレクション(参考作品)

現地ではメゾティント(版画)による《海と空の習作》、水彩による《並の習作》を観ることができます。
それぞれ50歳、65歳の時の習作なので、やはり波や海、そして空の表現に関してターナーが長らく追求を重ねていたことが伺えます。

解説では、ターナーは古い帆船と新しい蒸気船(戦艦)に対して複雑な想いがあった、と描かれていました。
イメージなんですけど、帆船=古い、蒸気船=新しいという単純な図式ではないような気がしますね。
先に挙げた《タインマウス小修道院》のように荒波の中を耐える帆船の姿も見られます。

今回は来ていなかったターナーの作品で有名なもののひとつが《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》です。こちらは近代的な戦艦が主題になっています。
役目を終えて解体されるために出航するという、ある種の哀愁が漂う作品です。


《解体されるために最後の停泊地に曳かれてゆく戦艦テメレール号》1839年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー(参考作品)

一方で《雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道》のように純粋に蒸気や近代化した物の性能そのものに惹かれている様も見て取れます。
アカデミーの会員をやりながらこういう作品も描けるという、ターナーのバランス力がすごいですね。

(もちろん酷評はされてます。想像ですが、やはり当時の中心地フランスのアカデミーほどかっちりしていなかったのかしら?なんて思ったりもしました)


《雨、蒸気、スピード-グレート・ウェスタン鉄道》1844年、ロンドン・ナショナル・ギャラリー(参考作品)
ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー - Wikipediaより引用

大雑把にまとめると、ターナーの中での帆船と蒸気船の位置付けは以下のような感じではないかと思いました。
帆船=古いが気高いもの
蒸気船(戦艦、最先端のもの)=心惹かれる対象であるがいつか終わりが来るもの

産業革命の中を生きたターナーならではの捉え方ではないでしょうか。

このように、ただ名所を描き写すだけに留まらず風景に個人の価値観を込めているところが、ターナーがロマン派と言われる所以です。

第3章 イタリアー古代への憧れ

ターナーパトロン達がイタリアへの旅行(グランド・ツアー)を好んでいたことから、ターナー自身も44歳の時に念願のイタリア旅行に行くことになります。


キリスト教の黎明(エジプトへの逃避)》1841年展示、北アイルランド国立美術館
日本初公開を含む約120点を展示!イギリス風景画の巨匠ターナーの核心と魅力に迫る|美術手帖より引用

ターナーが宗教的な題材を描いていることをここで初めて知りました。
「エジプトへの逃避」というモティーフについてはこれまでルドン展の際にエルスハイマーも取り上げています。

エルスハイマーは天体への自然科学的な興味、ルドンは聖母子の光り輝く姿を表しているとすると、ターナーの関心は空や空気感にあるように見えます。
結構時代を先取りしていますね。

第4章 山岳ーあらたな風景美をさがして


《サン・ゴタール山の峠、悪魔の橋の中央からの眺め、スイス》1804年展示、アボット・ホールアート・ギャラリー
| Abbot Hall Art Galleryより引用

第4章ではこの作品が最も構図に勢いがあって好きでした。
ターナー29歳の作品です。
実際のこの場所の写真も展示されていました。
ターナーは実景よりもかなり岩肌をゴツゴツと、そして谷も深くなるように描いていることが分かります。
若いうちからすでに実景を正確に写し取る「風景画家」に留まらず、自分の受けたイメージを画面に反映させていたのですね。

解説によると、ターナー以前に山を風景画の題材として選んだ作例はほぼなく、旅の障害としてしか認識されていなかったようです。
ちょっと前にプーシキン美術館展でセザンヌの《サント・ヴィクトワール山》を観たばかりだったので何だか意外でした。
確認してみたらだいたい100年離れていますね。

この後は常設されている作品や東郷青児コレクションの展示へと緩やかに移っていきます。
久しぶりにゴッホの《ひまわり》をゆったり観ることができたので、またこちらの印象も記事にしたいと思います。