placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

ダウンタイムの必要性と不得意なこと

今回は、適応障害になる以前から取っている自分なりのリフレッシュ方法・寄り道によるダウンタイムと、ダウンタイム先のカフェでの得意/不得意なことについての話です。


役割から解き放たれ自分を更地にする時間

20歳を過ぎたあたりから、私はとにかく「役割」から「役割」へとすぐに乗り換えるのが苦手なので、いったん自分を更地にする時間・ダウンタイムが必要だというのを感じ始めました。

例えば働いていた時は、店舗から家に帰っても、店舗での役割である責任者という立場を引きずったまま夫に接してしまっていました。
そのため家でもピリピリイライラが止まらず、随分苦労しました。

いったん役割から解き放たれて自分を更地にする時間がないと、次の場所で前の役割が抜けずに混乱してしまうのです。

なので1人での移動中は目的地に直行というものができません。
行きも帰りもカフェや本屋さんに寄ってしまうんですよね。

仕事をしていない今でしたら、
家(妻としての自分)→カフェ(ダウンタイム)→目的地(友達・娘・患者・客としての自分など)→本屋さん(ダウンタイム)→家(妻としての自分)と言ったところでしょうか。

店舗勤務時代とダウンタイムの有無

自分の記事から引用します。

5:50から朝番3時間勤務→発注と銀行(に行きながら立ち食いうどんor吉野家を早食い)→昼ピーク1時間回す→3時間だけ別カフェで休憩しながらシフト作成(しつつ爆睡)→夕方勤務6時間とかね。やってました。
通称:社員サンドイッチシフト(朝番遅番がいなさすぎて両時間とも全力で体を張る)とかやってましたけど、普通にしんどすぎてシフト作成を放棄して倉庫の床にダンボール敷いて寝たり、カフェで爆睡したりとかね。

引用元はこちらの記事です。

この通称:社員サンドイッチは異動前からも忙しくてやってました。
(より過酷で常態化したのは異動してからですが)
この時も中抜けしているときは一秒たりとも店舗にいたくなかったので別のカフェに避難していました。

いま思えばカフェへの避難だけでなく、銀行の行き帰りで寄り道をすることなどで、なんとかダウンタイムを作って心のハンドリングを取ろうとはしていたんですね。

ただ中抜け中のダウンタイムは、しょっちゅう仕事の連絡が入ったり、逆にカフェに持ち込みで仕事しないといけなかったりしないと仕事が間に合わないような状況だったので、まったく役割を忘れて更地になることは不可能でした。

おまけにそれが完全オフの、帰宅して寝る直前や公休でひとり自宅で寝ている最中にも連絡が入るような有様だったので、振り返ってみれば、まあ遅かれ早かれ身体と心のどっちかは壊れていただろうな…と思います。

ちなみに、仕事中にダウンタイムはどうなの?と思われるかもしれませんが、 拘束時間が長いのでダウンタイムを取らないとパフォーマンスが格段に落ちるんですよね…お客様や店舗スタッフに当たり散らさないためには必要な時間でした。
こういう社員サンドイッチが起きないためにも、勤務間インターバル制度が早く罰則を伴う法制化にならないかなと思います。

インターバルもへったくれもない社員サンドイッチでくしゃくしゃになった私としては、混乱するとしても猶予なしにさっさと導入して欲しいですね。
それでちゃんとみんなでみんながオフの時間を作りましょう。
でないと社会がいま以上に、他の人に優しくできる余裕を無くしてしまうと思います。
人が足りないとか言うならそれが会社としての実力であり現状なのだから甘んじて休業したっていいじゃない

私のダウンタイム:例えばカフェでの過ごし方

そんなわけでダウンタイムが必要な私は、よく用事の合間にカフェに寄ります。
ただし私の場合、ぼーっとするよりも情報のシャワーを浴びている方が楽です。
そして私にとっての情報のシャワーは活字でなければならないと感じています。

カフェでの過ごし方と得意/不得意なこと

◎活字(スマホでも本でも可。ブログを書くのも癒されます)

○音(適度な賑やかさ、言語として聞き取っていないカフェのざわめきに身を浸すと自分が更地になっていく気がして心地よい)

△BGM(基本的にはざわめきとして好ましいのですが、昔の店舗のBGMでパニックになったことがあるので最近ちょっと過敏気味です)

△音楽(演奏するのも聴くのもちょっと体力がいるので、余力がある時か無理やり気分を上げたい時にしか聴きませんね。カンフル剤みたいな感じです。会話を聞きたくない時にイヤホンだけつけることはあります)

×会話として聞き取れてしまった話し声
(会話の内容から他人の感情が見えてしまうと、そちらに引きずられてしまってとても気が散ったり滅入ったりします。あとイライラも移りがちです)

×動画(よっぽど観たいものがない限りひとりではテレビもラジオも点けなくなりました。最近はニコニコ動画も活字+動画なのにちょっとしんどくなっています)

私のダウンタイムは、ある程度のざわめきの中で活字に浸るのが向いているみたいです。
ただ、音声や聞こえてしまった会話からの刺激は感情に引きずられてしまうので苦手です。

ぼーっとするのではなく活字に集中していると、話し声や、周りのお客様や店員さんの表情の解像度が自分の中でトータルでの「心地よいざわめき」まで下がるので、カフェがダウンタイム場所になるのだと思います。

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