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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

原田マハ『ジヴェルニーの食卓』:「恋をした」人々の物語

#名刺代わりの小説10選、今回は原田マハ『ジヴェルニーの食卓』です。

西の魔女が死んだ:梨木香歩
キッチン:よしもとばなな
蜜蜂と遠雷:恩田陸
ジヴェルニーの食卓:原田マハ
グアテマラの弟:片桐はいり
博士の愛した数式:小川洋子
ロマンス小説の七日間:三浦しをん
僕と先輩のマジカル・ライフ:はやみねかおる
鹿男あをによし:万城目学
勾玉三部作:萩原規子

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ゴッホ好きとしては『たゆたえども沈まず』と、正直とても迷ったんですけど、文章から「眩しさ」を感じ取れるのは『ジヴェルニーの食卓』なのでこちらを選びました。
一度このブログでもさらっとですが触れてますしね。
殿堂入り枠ということにしましょう。

「恋」によって生き方まで変わった人物の目線

この作品は画家と美術作品を扱ってはいますが、正直なところこの作品の本質ではないと思います。
誰かの営みに強烈に惹かれた時の心の動き、どぎまぎしたり目を奪われたり、熱に浮かされたような気持ちになったり…この物語の本質は性愛を超えた「恋」と「恋をした」人の願いや覚悟です。

もちろん、マティスピカソドガセザンヌゴッホゴーギャン、そしてモネという、印象派とそれに続く画家たちは登場します。
ですが、この物語の中心を務めるのは画家本人ではなく基本的に彼らの営みに「恋をした」人物たちです。
(「タンギー爺さん」だけはワンクッション置いた形になっていますが、この短編はタンギー爺さんが「恋をした」人物が多いのでクッションが必要だったのかもしれませんね)

熱に浮かされた人物の想いを読んでいくうちに、読み手である自分の熱量も上がっていくんですよね。
正直なところ、自分の生き方が変わってしまうくらい、誰かの営みに夢中になれることが羨ましいです。
画家たちの新しい芸術への強い想い、彼らの営みに惹かれ「恋をした」人物がその身を任せる姿、そして印象派の画面からの眩しさそのものがリンクする、とても美しい作品だと思います。

なので、美術の知識や実際の作品に関しては、読んでみて気になった作品を調べてみてから、もう一度物語を味わってみるのが楽しいと思います。

今回は、4つの短編からお気に入りの2つを紹介します。

「うつくしい墓」

『ジヴェルニーの食卓』冒頭は、マティスの《ロザリオ礼拝堂》と、ピカソとの邂逅を中心にした短編です。
まず、この話が冒頭なのがそもそも贅沢ですね。
瑞々しさにぐっと心を鷲掴みにされてしまいました。
マグノリアのマリア…清潔で、素敵な響きです。
マグノリアと言葉を添えたカードをやり取りする場面が何度かあるのですが、どのやり取りも「異なる、秘めた恋」を連想させます。

個人的にこの作品の言葉のやり取りが最もお洒落で美しいと思ったのですが、一言でも違えてしまえば縁がふっつりと切れてしまうような、そんな緊張感にも満ちています。

「恋してしまう」感覚は、この短編では「占領」と言い換えられています。

「芸術家って、どういういきものなのかしらねえ」
せつないため息をついて、エマは言うのでした。
「知らないうちに、人の心の中に勝手に入ってきて、占領しちゃうなんて。はっと気がついたときには、もう手遅れ。リディアも、モニック・ブルジョワも、あんたも、あたしも。占領されちゃったのよね。先生に…先生という芸術に

前後しますが、語り手であるマグノリアのマリアが初めてマティスのアトリエを訪れた際の驚きの表現も素晴らしいです。

床いちめんに、色紙が散らかっていました。まるで、南国の花々を無造作に散らしたように。その紙の花畑が、窓からの光を弾いて、部屋の隅々までを光で満たしていたのです。

私の好みが、どちらかと言えばマティスの晩年のコラージュ作品にあることも関係しているとは思いますが、そのコラージュの素となる色紙が散らばっている様子が美しい言葉で紡がれているので、想像だけでうっとりします。
言われてみて実際に作品を観ると、確かに南国なんですよね。

ここで作品を載せられたらいいのですが、ピカソマティス著作権上引用が難しいので、気になった方はGoogle先生に聞いてもらえると嬉しいです。

(マティスは《ポリネシア、海》《La Gerbe - The Sheaf (束)》が好きです。この辺りを調べてもらえるとこのコラージュのシーンの美しさがより一層見えてくるのではと思います)

「ジヴェルニーの食卓」

本作のラストで表題作です。
モネとモネの「助手」ブランシュ、そして長年のパトロンであり友でもあった元首相ジョルジュ・クレマンソーを中心に最晩年の《睡蓮装飾画》を巡る物語が展開されます。
印象派の扉を開けた人物の最晩年が物語の最後を飾る、というのもなかなか感慨深い構成になっていると思います。

モネの美しい庭、ジヴェルニーの太鼓橋の絵がちょうどプーシキン美術館展にやって来ています。
モネの瑞々しい目、いまを映し出す眼差しです。
白内障に侵され、大作である《睡蓮装飾画》を描けないかもしれないと打ち明けたモネに対し、ブランシュは「睡蓮の絵が完成されないことの方が残酷だ」と告げます。
この場面のブランシュの確信と覚悟はまさに「恋する人」の覚悟です。

きっと、あの作品は、先生の最後の仕事になるだろう。そして、それを送り出す手助けをすることが、私の最後の仕事。
成し遂げずに終わってなるものですか。

同じ場面で読まれるクレマンソーの叱咤激励の手紙もぐっときますね。

(中略)言うは易く、行うは難し。けれど、君は誰あろう、モネではないか。

長く共に歩んできた人にしかかけられない言葉ですね。
この手紙の全文が素晴らしいので、ぜひ実際に読んでもらえたらと思います。

このクレマンソーという人物は、元首相でありながらブランシュが作る美味しいものに目がないという、ちょっと可愛い人物として書かれています。
でも台詞は結構強烈なんですよね。
君の目が、君だけの目じゃないということがわからないのか?君の目は、私たちのものーフランスのものでもあるんだぞ!」なんて、よっぽど信頼している仲でなければ言えない台詞です。
でも同時にモネの試みと成功が現代の美術へと明らかに繋がっていることも示されている、なかなか面白い台詞だと思います。

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やはりジヴェルニーの庭はいつか行ってみたいですね。
5年前の瀬戸内国際芸術祭のタイミングで、直島の地中美術館の近くのモネの庭の再現部には行ったことがあるんですけど、そこがすでに素晴らしかったので写真を載せて終わりたいと思います。