placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

さよなら25歳とチャットモンチー「満月に吠えろ」

私事ですが、今日で26歳になりました。
今回はチャットモンチーの「満月に吠えろ」の話です。決意を込めて。

チャットモンチー「満月に吠えろ」

満月に吠えろ

満月に吠えろ

MVも貼っておきますね。振り付けが可愛いです。
youtu.be

私は友人がチャットモンチー大好きだったので、それまでの有名どころはある程度知っていたのですが、自主的にちゃんと聴き始めたのはドラマー高橋久美子の脱退というニュースからでした。
(そして2018年中に「完結」という悲しみ)

「満月に吠えろ」はそのニュース後、2人体制として最初のシングルとしてリリースされました。
2人でどうするのかな?どんな曲なのかな?という興味本位な気持ちを完全に刺されて裏切られたのが今も印象に残っています。

サウンドのことはあまり詳しくないのですが、とても肉厚なのにいい意味で軽やかだなあと聴くたびに思っています。
ベースがないことで、返って軽やかな2人の歩みを表現しているように聴こえてきます。

「しなやかに生きよう」とは

この曲はとにかく歌詞がいつも私に刺さるんですよね。Bメロが人生の節目にぐさぐさきます。

きみは何を感じてる?
大丈夫だよはもう誰も言わない
だから行くんだろ 行くんだろ

きみは何を信じてる?
変わらないはもう誰も言わない
だからもういいよ もういいよ

私は「女性はライフステージの変化が大きいからしなやかに生きましょう」と高校の卒業式で言われたことに対して、ずっと違和感を持っていました。
自分を持っていないならば、それは別に自分じゃなくていいんじゃない?という気がして。

ただやはり、社会人としてある程度の仕事を任された状態で結婚したことで、その言葉の重み自体は肌身で感じるようになりました。
でも、決して女性だから・結婚したからということを言いたい訳ではありません。

社会人としてマルチタスクをこなせる能力や、オンとオフの頭と心の切り替え、そして自分が予期せぬ出来事に出会った時に動揺しすぎない…といった諸々が「しなやか」にまとめられていたのだと今なら思います。
そういう意味では、私はしなやか路線に反発しつつも囚われすぎてついに疲れてしまった、という状況かもしれません。

違和感があったのは対象が「女性」に絞られていたからですかね…まあ女子校なのでそこ自体に他意はなかったんだろうなと思います。
ともかく、世の中なんて予期せぬことだらけでままならないし人間みんなそうなんじゃないのかな?といまは日々勝手に思っています。

✳︎✳︎✳︎

人生の先のことをある程度以上考えると頭がショートするぽんこつのまま、この歳までやってきました。
結婚はしましたけど相変わらずその日暮らしの快楽主義や先延ばし癖はなかなか治らないねえ、と自分でぼやきながら暮らしています。

ただこの頃、どこから縁が繋がるかわからないし、縁を繋ぐのも切るのも結局自分次第だよなと思っています。

いまはちょっと難しいですが結局誰しも最期に持っていけるのは自分の心ひとつなんですよね。

なので、年齢を重ねる毎にこの曲の「大丈夫/変わらないはもう誰も言わない」が染みるようになってきました。
ぽんこつでもぽんこつなりに、自分の脚で歩まなければいけない時期が来ているのを感じています。
実際、もう守ってくれる人はどんどん減っていくことを実感するような場面も増えてきました。
(まだ何も成し遂げていないぴよぴよですけどね、それでも色々あるなあと思います)

でも、自分の脚で歩んでいる人は美しくて、だからその姿は誰かの心を揺さぶるのだと思います。

メンバー脱退というバンドとしての状況を抜きにしても、自分の脚で歩いていくことの孤独と清々しさ、出会いと別れへの前向きな諦め、というイメージが、Bメロにぎゅっと凝縮されているような気がします。
2回目のBメロの「もういいよ」で毎回涙ぐんでしまいますね。
諦めて、許して、そして進んで行くのです。

毎年恒例・誕生日の抱負めいたこと

21歳から、誕生日の度にNisshiやElloなどの各種SNSで抱負めいたことを書いているので、今年も書きたいと思います。

21歳はシンプルに、地に足つけて夢空高く、好奇心の赴くままに過ごす。
22歳は21歳の自分の良かったところを上手く拾って、新しい自分を作っていく。
23歳は22歳の迷走も無駄ではなかったと実感しつつ日々を充実させる。
24歳は何があっても立ち止まらず、考えることや行動することを止めないようにする1年にする。

25歳は自分のことをもっと知って、これから先の人生を機嫌よく軽やかに生きていくための準備をしたい、という目標を持っていましたが、結局自分で想定していたことの何倍もめちゃくちゃな1年でした。

26歳は、自分の脚で歩いていくために、何か予測できないことがあったとしても、自分が自分の最強の味方でいられるような心を保てるようになりたいというところでしょうか。
歩むのは自分だからこそ、上手くハンドリングしながら自分が好きでいられる自分に近づくための1年にしたいと思います。