placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

恩田陸『蜜蜂と遠雷』:人間にとっての才能/芸術とはなんだろう

『西の魔女が死んだ』『キッチン』の記事を書いたところで、ぬこさん(id:nukoblog)さんのこちらの記事からTwitterで #名刺代わりの小説10選 というタグが流行っていることを知りました。

面白そうだったので私もやってみました!
自分のTwitter上ではいったんリストにしたので、こちらではひとつずつ記事にしていこうと思います。
書けたものからリンクを貼っていくつもりです。
多分このブログ内でもカテゴリから辿れるはずです。

#名刺代わりの小説10選

西の魔女が死んだ:梨木香歩
キッチン:よしもとばなな
蜜蜂と遠雷:恩田陸
ジヴェルニーの食卓:原田マハ
グアテマラの弟:片桐はいり
博士の愛した数式:小川洋子
ロマンス小説の七日間:三浦しをん
僕と先輩のマジカル・ライフ:はやみねかおる
鹿男あをによし:万城目学
勾玉三部作:萩原規子

10作品に絞るのは難しいですね。
かなり迷ったのですが、次点のトップは中沢けい『うさぎとトランペット』でした。
「毒は薬にもなる」という言葉が効果的に使われていまして、巡り巡ってこのブログタイトル「placebo」の由来にもなっています。

これ、面白いので他の人のも見てみたいですね。
朝から色々考えましたが、私の基準は「いつでも手元で読み返したい」ものです。

というわけで今回は恩田陸蜜蜂と遠雷』の話。
発売当初のネット上の居場所がg.o.a.tだったのですが、そこでこの本について熱く語っていました。
なので今回は、当時の文章に加筆・カット・修正という形で、感想や考えたことを書いていきたいと思います。

蜜蜂と遠雷』と恩田陸作品の魅力について

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷

蜜蜂と遠雷』は、天才や秀才、さらには異能とも称される人物が持つ孤独や葛藤とそれを目の当たりにした人物の心の揺れ、群像劇、連綿と続く人間の営みとノスタルジアといった、恩田陸作品の素敵なところがぎゅっと凝縮されています。

特に今作は天才や才能の書き分けが際立っていて、天才、神に愛された存在があるということを嫌味なく感じることができます。

しかし『六番目の小夜子』や『球形の季節』を読むと、「天才」というのは確かに凡人には埋められない部分もありつつも単なるラベリングのひとつでしかなく、天才と呼ばれる彼・彼女もまた自分と同じ1人の人間として悩み成長していく存在であるのだといつも思います。

一方で、例えば『図書館の海』の表題作の主人公、関根夏のような「自分は主人公にはなれない」と感じているような人物が持つ、天才という存在に届かない側のもどかしさや焦燥感もリアリティに満ちているので、より一層ラベリングであるはずの「天才」や「才能」が際立つようになっています。

余談ですが、天才や才能とそれに纏わるものについての感覚は、西尾維新の『めだかボックス』や、かっぴーの『左ききのエレン』に通じるものがあると思うので、これらが好きな人は『蜜蜂と遠雷』も好きになると思います。私もどっちも好きです。

※『左ききのエレン』に関しては、物語上ハードワークやハラスメントな描写が多いので、気持ちが安定しているとき向けの作品です。基本はフィクションですし、違う業界の話なので私は割と大丈夫でしたが、基本的に体調のいいときに読んでもらえたらと思います。
好きですしおすすめなんですが難しいですね…

cakes版/ジャンプ+版

魅力的な登場人物による群像劇と「天才」に共感できる幸福

今作『蜜蜂と遠雷』はピアノコンクールが舞台となっているため、音楽の描写が読みどころになるのですが、その描写にはぐいぐい引き込まれてしまう強さがあります。
登場人物それぞれの音色や才能、バックボーンの違いが実に美しく描写されているので、読者と彼・彼女たち「天才」との差と感じさせつつも、 まるで自分自身がコンクール会場にいるかのように異なる才能を目の当たりにする幸せに浸ることができます。

登場人物がみんなそれぞれのドラマを持っているので、「天才」を含めたみんなに共感できるのも楽しいし、みんなのことを好きになってしまえるんですよね。
トレンドめいた言葉でまとめるのはちょっと乱暴なのですが、読み終えると推しができますというところです。

「天才ではない」コンテスタント・高島明石の奇跡の場面

生活者の音楽は、音楽を生業とする者より劣るのだろうか、と。

どうだろう?俺の「春と修羅」は、俺のカデンツァは、観客に、作曲者に、どう聴かれるのだろう?

これは私の好きな登場人物、高島明石の内省の言葉です。
静かな怒りや嫉妬、そして自分なりの目標や「ここだけはという落としどころ」を見つけて極めるという音楽への想いや向き合い方が、少し自分と似ているからかもしれません。

蜜蜂と遠雷』は群像劇であると同時に、かつての天才少女・栄伝亜夜の再生の物語としての側面もあるのですが、終盤での亜夜と明石の出会いの場面が、私がこの作品の中で最も好きな場面です。
音楽は魂での繋がりになり得るという、奇跡のような場面ですので、ぜひ最初から通しで読んだ上でこの場面に辿り着いてほしいと思っています。

蜜蜂と遠雷』から呼び起こされた思い出

蜜蜂と遠雷』を読むまですっかり忘れていたのですが、大学1年の頃「芸術とは何か」という問いに自分なりに答えるという課題が出たことがあります。
そのときは散々悩んだ末に、プラトンイデア論ニーチェの超人、運命愛を元に「芸術とは高次の存在への憧れを具象化したもの」という答えを出しました。

いまもう一度考えてもやっぱり似たような答えになるような気がします。
ニーチェ永劫回帰をもう少し反映させて、
芸術とは高次の存在への憧れを具象化するための人間の行為」とするかもしれませんね。

✳︎✳︎✳︎

大学を卒業する際に、教授陣から贈られた「芸術を学んだ意味」にまつわる言葉を私はいまでも大切にしています。
卒業式後の最後のホームルームで、教授がひとりずつそれぞれの「芸術を学んだ意味」を話してくれました。

◎芸術を通して、多様な価値観に触れることを恐れずになったので、君たちは自ら多様な価値観に触れることに飛び込んでいける。

◎芸術を通して、時が過ぎることで変わっていく物の見方や感じ方を慈しんで欲しい。

◎芸術を学んだ君たちは当たり前だと思うこと・思われていることに対して疑いを持ち、自覚的に物事を捉えていくことを覚えたからその眼差しを忘れないで欲しい。

◎芸術を学んだ君たちは、芸術はいつも自分の隣にあると信じられるようになっただろうから、そのことを忘れずにどんどん映画や美術館、コンサートや寺院に足を運んで欲しい。

各教授がそれぞれに話してくれたことをまとめるとこんな感じになったのですが、このメッセージにとても感銘を受けたんですよね。

芸術学や美学は学んだことをそのまま仕事に活かすようなものではないですし、私の場合は実技を専門的に学んだわけでもないので、言ってしまえば世の中の役に立つようなものではありません。
それこそ就職活動に役に立つものではないですし何かを生み出しているわけではないので、世の中の文系の研究者は肩身が狭いそうです。

(思考のイノベーションに貢献してると思ってますしそういうものを疎かにするような世の中ではいけないとは思いますけどね、個人的には)

なので当然、好きでやっていた学問ですが引け目もありましたし、これでよかったのかと思う瞬間もありました。

ですが、この言葉を頂いて、ああこの学問を選んで本当に良かったと誇らかに思えたのでした。

まあ、入学時の教授陣からのお祝いの言葉はまとめると「役に立たない学問だけど全力でやれ!楽しめ!」というなかなかファンキーなものだったんですけどね。
でもこの言葉のお陰で、私は在学中楽しく勉強できましたし、卒業しても楽しく芸術に触れて感じたことを言葉にするための勇気をもらえたと思っています。