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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

適応障害で休職しています④2度目の過呼吸と救急車

今回は、とうとう救急車と救急外来にお世話になってしまいましたという話。

適応障害になった経緯はこちらから。

日曜までの過ごし方


公務員試験の一発目以降明らかにメンタルの調子が悪かったのですが、落ち込んだ気持ちをなんとか引き上げようと、木曜日から友人と会う約束や夫との外出を3日続けて入れていました。

木曜はいつも会う中学から10年以上親しい友人、金曜は昔のアルバイト先で一緒だった先輩と会ってきました。
友人とは3ヶ月ぶり、先輩とは連絡こそ取り合っていたものの2年ぶりくらいの再会です。
それぞれたくさん話ができて、本当にいい時間でした。
さらに、土曜にはルソーが好きな夫と一緒にプーシキン美術館展にも行き、楽しいことでエネルギーを蓄えていたつもりでした。

しかし、今振り返ればとても些細な行き違いで、帰り道に夫と諍いを起こしてしまいました。
すり合わせのために夫にもストレングスファインダーをやってみてほしいから帰りに本屋さんに寄ろうよ、という私の要望を、夫がなあなあにして誤魔化したと感じてしまい、そこから私が癇癪を起こしてしまったのです。

反抗期レベルの癇癪で恥ずかしいのですが、あまりにもイライラして公務員試験のテキスト類をリビングの床にぶちまけて夜中に家出しました…公園のベンチでわんわん泣きながら母親に電話する25歳(もうすぐ26歳)。

テキストをぶちまけたのは、自分の人生が全て夫によって公務員というレールに載せられてしまった気がして、テキストが自室の中にあることに急に耐えられなくなったからでした。
あとはぶちまきや家出という目に見える行為でとにかく夫に自分が苦しんでいるということを見せつけたかったのだと思います。我ながらなんてメンヘラ思考

そして日曜がきた

結局寒いし、母親と話をして頭もある程度冷えたので2時間くらいで家には戻りましたが、翌朝も夫とは揉めた雰囲気を引きずったまま家を出ました。

この日は元々数ヶ月前から楽器の練習の予定が入っていました。
しかもプロの方にレッスンしていただける貴重な日です。

休職してから、都内に出かけるときは意識的にかつての通勤ルートと重ならないように気をつけていました。
しかし、今回の練習場所が偶然私の異動先の店舗から近かったため、かつての通勤ルートと同じ駅で乗換をしなければなりませんでした。
ふと車内でそのことに気づいたとき、頭痛や脇の発汗、胸苦しさと吐き気を覚えました。

朝番だと乗換の接続が悪くホームで10分くらい待たなければいけなくて毎朝とても寒かったこと、帰りはいつも車内が混んでいて気が休まらなかったこと、終電に間に合うかひやひやしながらダッシュしたことなど、当時その乗換駅で感じていたストレスでだんだん頭がいっぱいになっていきました。

これはまずいと思っているうちに乗換駅に着いたので、とりあえずベンチにでも座ろうと思ったのですが、視界がいつもよりも狭まって脳の動きも鈍っているような感覚が強く、結局階段近くの壁に持たれてしゃがみ込んでしまいました。

号泣から過呼吸とパニックへ

気づけばまた前回のように号泣していました。
人前で子供みたいに泣いていて恥ずかしいのに、嗚咽と涙の止め方が分からなくて、楽器の陰に隠れて手ぬぐいで口元を隠して嗚咽することしかできなくなってしまいました。

通りがかった年配の女性の方が駅員さんを呼んでくれたお陰で、事務室の救護室に行くことができました。
うなっちゃうと、体に力が入らないし、呼びかけてもらってることはわかっても言葉の意味が全くわからないんですよね。
なんとかiPhoneのメディカルIDを見てもらい、救護室に運んでもらいました。
薄ぼんやりとしか状況把握ができなかったんですが、車椅子で運んでもらったときに、風が顔に当たるのが怖い、寒いと喚いたような記憶があります。

救護室では手ぬぐいとiPhoneを手元に置いたまま、毛布を頭から被って結構長い時間横にならせてもらったのですが、ちっとも嗚咽が収まりません。
その乗換駅にいることそのものや、普通に働いている人たちの横で号泣していること、練習に行けないことなどで頭の中はぐちゃぐちゃでした。

途中、女性の方(恐らく駅員さんの中でもこういった救護に長けた職種の方だと思います)がゆっくり背中をさすりながら呼吸を戻そうと試みたり、どこに連絡を取ったらいいかを聞いてくださったりしたのですが、とにかく自分の頭で何も決められなくてまたメディカルIDを指差すだけで精一杯でした。

「救急車を呼びますか?」という質問に「わからない、もう何も自分で決められない」と答えたのは覚えています。

「眩しくて怖い」

結局、ある程度救護室で休んでも嗚咽が収まらないということで救急車が呼ばれて近くの救急に搬送されました。
搬送されるときに、ホームの明るさが妙に気になってまた喚いた覚えがあります。
「眩しくてやだ、怖い」は確実に言ってました。

あと搬送先の看護師さんいわく「嗚咽じゃないと呼吸ができない」というようなことも言ってたようです。

ただ、搬送された先で血圧やら血中酸素濃度やらを測定されている時に、血中酸素濃度は99%と聞こえたところで、なぜか突然それなら案外大丈夫かも?と思いました。

嗚咽しすぎで手足も痺れてきたし、喉が枯れて息も全然吸えていないと思っていたのですが、酸素が行き渡ってるなら病院だし嗚咽でもいいや、と急に思えて、ちょっと身体と心のこわばりが緩みました。
そこから看護師さんと一緒に呼吸を整えているうちに1時間ほど自然に眠っていたようです。

夫に迎えに来てもらい、両親とも合流して少し話をした上で、今は実家でのんびりしています。
勉強はしててもある程度は好きなことしてるし、だいぶ休んでるよなあと自分では思っていましたが、こうなると休むって本当に難しいですね。

誰かと会うことも夫と出かけることも、練習に行くことも、私の中では「休む/遊ぶ」の範疇のつもりでした。

周りに心配をかけないためにも、これからどのように自分をハンドリングしていけばいいのか考えないといけないと思っています。

そのために、今の職場を辞めて新しい仕事に移行する上でどこに相談すればいいのか、少しでも働いた分のお金を取り戻すために個人での組合活動をする覚悟があるか(New!)など、考えなければいけないことは尽きません。

とりあえず、プーシキン美術館展はとても良かったのでゆっくり感想をまた書きたいと思います。
今回役に立ったメディカルIDや、組合活動を検討し始めた経緯についても別で書きたいですね。

考えたことを整理しながら、適宜ブログを書くことは、なんとなく私のハンドリングのひとつになっているような気がします。
雑多ですがお付き合いいただければ幸いです。

【続いています】

【メディカルIDのことを書きました】