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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

ルドン-秘密の花園展と近況

処方されている薬が効いているのか、ありがたいことに気力がある日が少しずつ増えてきました。
まあ、安定してできることはぬるっと夕方に買い物に行って自分に食事を食べさせるくらいなんですけどね。
相変わらず感情の浮き沈みも激しいですが、何もしない時間に横になるのではなく、意識して椅子に座って過ごすようにし始めたのはいい傾向だと自分で思っています。

今回はルドン展@三菱一号館美術館について。
ルドンは個人的にあまり縁がなく、卒論で取り上げた人も周りにいなかったので、今回はブログのために軽めの論文をいくつか読んでみました。ciniiは実に偉大ですね。

「黒の時代」と「幻想」


オディロン・ルドン《夢想(わが友アルマン・クラヴォーの思い出に)Ⅵ.日の光》1891年、三菱一号館美術館

三菱一号館美術館といえばリトグラフ

暗い部屋と窓によって隔たれた植物。一見普通の風景のようで、暗い部屋の中には目のようなものがいくつもいくつも浮かんでいます。
親交があった植物学者クラヴォーの自殺ののちに作られた石板画集の中の1枚です。

林美朗・山口笑両氏の論文に、ルドンが1913年に黒について述べたものがいくつか引用されています。

「黒は最も本質的なもの色彩である」
「黒がその充実した最高の美しさの内に表れるのは、長いにせよ短いにせよ、我々の人生のまさに中心的な時期においてである」

また少し戻って、1901年のルドンの日記には次のような感傷的な言葉が残っています。

「おお、かつての私の魂よ。遠くなった魂よ。(中略)帰ってきては去っていく夜の恋人よ。思うに私は、一度もお前を失ったことはなかった。何がお前を呼び返すのか?お前の時間に呼び返すのか?私には分からない」

両氏は夜の恋人=黒という色彩であると解釈した上で、ルドンは老いるにつれて全力を注いで幻想世界を描くために必要であった黒という色彩に疲れを感じたのではないかと結んでいます。

《エジプトへの逃避》-風景画と宗教画-

「黒」から離れたルドンはやがて宗教的、神秘的な題材へと関心を移し、パステルや油彩を中心に色彩を用いた作品に取り組み始めます。
まずは《エジプトへの逃避》という題材から見ていきたいと思います。

この題材はマタイ福音書2章13-15節に由来するもので、西洋絵画の長い歴史の中でも度々描かれています。
今回は17世紀初期の画家アダム・エルスハイマー(1578-1610)の作品と比較してみます。


ルドン《エジプトへの逃避》制作年不詳、オルセー美術館


アダム・エルスハイマー《エジプトへの逃避》1609年、アルテ・ピナコテーク(参考作品)

制作年不詳なのでアレですが、200年以上の時を経ても同じ題材で描かれた絵が残っているってすごいことだなあと思います。ロマン。
エルスハイマーが生きた時代は、ちょうどガリレオ・ガリレイが天体観測を行なっていた時代とも重なります。
エルスハイマーの《エジプトへの逃避》は宗教的な題材でありながら、明るい満月や大胆な構図で描かれた天の川から、宗教的な主題そのものよりも自然科学への関心の方が高いということが見て取れると思います。

※ちなみに、ガリレイの天体観測の成果が書物として発表された年は1610年のため、エルスハイマーの作品と直接の関係は薄いのですが、16世紀半ばから天球儀が流行していたためそちらの影響の方が強いと思われる、という橋本寛子氏の先行研究があります。
いずれにせよこの時代は自然科学への関心が高い時代でした。


一方ルドンの《エジプトへの逃避》は光り輝く聖母子の姿と木の存在が際立っています。
エルスハイマーと比べると、ぐっとカメラが聖母子に寄っていますね。
幼少期(生後2日!)からペイルルバートという地に11歳まで里子に出されて育ったルドンの心の支えとも言える植物、ここでは木がまるで聖母子の依り代のように画面中心で輝いているという点が印象的です。
16世紀以降に宗教画から「風景画」が自立したのち、ルドンは再びキリスト教だけに留まらず、仏陀や概念としての「宗教画」を描き続けていたというのは興味深いですね。


ルドン《神秘的な対話》1896年頃、岐阜県立美術館


ルドン《若き日の仏陀》1905年、京都国立近代美術館

「目」から「花」と「蝶」へ

「黒の時代」から「色彩」を経て「花」に辿り着くまでの過渡期の作品として、両氏の論文では以下の作品が挙げられています。


ルドン《起源Ⅱ. おそらく花の中に最初の視覚が試みられた》1833年岐阜県立美術館

幻想というにはちょっとトラウマになりそうなやつ。

両氏の論文では、ペイルルバート時代、つまり子供時代のルドンの体の弱さなどから「眼差すことしかできなかった」ことによる視覚への偏執がルドンに「幻想世界」をもたらし、のちに「色彩」への移行の中で「眼差し・目」というモティーフが「花」というモティーフへ神格化されたと述べられています。

この論文で興味深かったのはルドンの花瓶にいけられた花への関心、そして蝶との関係です。


ルドン《首の長い花瓶にいけられた野の花》1912年頃、ニューヨーク近代美術館


ルドン《花:ひなげしとマーガレット》1867年頃、シカゴ美術館

両氏の論文では野に咲く花が摘み取られることで一度死に、花瓶にいけられることで再び生を受けて蘇るということにルドンは大きな関心を持っていたのではないかと述べられています。

ところで、花瓶にいけられた花(花卉画)というジャンルは16-17世紀のオランダで成立したと言われています。
ヤン・ブリューゲル辺りですね。
(うっかりブリューゲル展に行きそびれたのは本気で後悔しました…)
当時は目で楽しむと同時に教訓も含まれていた花卉画が、国と時代を経て教訓を失い、ルドン個人の物の見方へと変化していったわけです。


ルドン《蝶》1910年頃、ニューヨーク近代美術館

蝶(もしくは蛾)というモティーフは図像学的に魂を象徴していると言われています。
上の作品のように、ルドンは花と蝶が形として似ている点に着目し、しばしば2つのモティーフを同時に描いています。

ルドンの人生は、クラヴォーの自殺だけでなく、目の前で友人が溺死する、長男が病死するなど、周囲の人間の死と共にありました。
その点を踏まえると、ルドンは自らより先に死んでいった者達を、一度死んでもなお輝く花や魂として飛び回る蝶になぞらえることで、常に身近な存在として感じ続けていたのではないかと思いました。

余談:ゴッホとモネのけしの花

ゴッホとモネもそれぞれ蝶とけしの花を描いた作品があるので、こちらの記事でぜひ観てみて下さい!

参考文献

藤田治彦『天体の図像学−西洋美術に描かれた宇宙』小学館、2009年

参考論文

橋本寛子「アダム・エルスハイマーの《エジプト逃避》について」『美術史論集』第4巻(2004年)、神戸大学美術史研究会
林美朗・山口笑「画家、オディロン・ルドンの世界」『東海学院大学紀要』(2007年)