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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

【5/14修正】展覧会との向き合い方とゴッホへのシンパシー

今回は、展覧会に行くときの個人的な心構えやゴッホへの思いについて書きながら2017年のゴッホ展-巡りゆく日本の夢@東京都美術館を中心にした2017年のゴッホ的ひと活振り返りをしていきたいと思います。

※ビュールレ・コレクション展に触れていた部分は改めて別記事にまとめました。
こちらもよろしくお願いします。

展覧会でイメージを捉え、文章化で捕まえる

私は一度行った展覧会の感想が固まるまでに、何度か反芻するので時間がかかります。
反芻といっても展覧会に何度も行くというわけではなくあくまで最初に掴んだイメージやキーワードを捉え、それについてひたすら考えるだけに留めています。

当然、2回以上行きたい!と思うことも多いですが、以前は特にスケジュール上厳しかったため、基本的には実際に足を運ぶよりもなぜもう一度観たいのか?何が観たいのか?ということを深く考えることで自分自身の思考を捕まえるという方法に落ち着きました。

そうして反芻したイメージをブログとして言語化していく中で、以前観た作品や展覧会との比較がしたくなったり、言葉の定義づけやちょっとした年代を確認するための調べ物をしたりといった、細かい作業を重ねることでさらに研ぎ澄まし、考えを深めることに快感を覚えるタイプのようです。

このスタイルは、恐らく元々私が中学時代から部活として演奏会に出る側にいたことが影響していると思います。
勉強として他団体の演奏会に行くことも多かったのですが、演奏会は基本的に一度きりなので、どこが印象に残ったのかということを後から考えて言語化し、文章にする過程でさらに純化するという行為は比較的早いうちからやっていたような気がします。

ゴッホの受容姿勢と醸成という行為

掴んだイメージをひたすら反芻し追いかけることで純化していくという作業は、私が大学時代から熱心に追いかけているゴッホの取った受容姿勢と少し似ているのではないか、と勝手に思っています。
ここからは、自分の書いた卒論を下敷きに、ゴッホの受容姿勢について触れていきます。

ゴッホは日本の浮世絵と出会うことで大きなインスピレーションを得て、自作に反映させていきました。
また、シャルル・ブランやゲーテによる色彩環についても、名前を出しての言及はないものの見識があったことを思わせる記述が書簡にあります。
それと同時に、モンティセリという画家の名を挙げています。

それで赤-青-黄-オレンジ-紫-緑、六原色に均衡を与える頭脳の仕事からひとりで帰ってくるとき、ぼくは、呑ん平で気が狂っていたというあのすばらしい画家モンティセリのことをじつによく心に思い浮かべる。(書簡507、1888年7月)

モンティセリはドラクロワの影響下にありながらサロンへの出品はせず、強い色彩・激しい筆致・分厚いマティエールという特徴を持っていました。

直接の面識はないものの、パリにやってきたゴッホはモンティセリの作品に衝撃を受け、自身の作品へと反映させていきました。
後に弟テオに《花瓶の花》の購入を勧めたり、自らをモンティセリの後継者のように思うことがあるという趣旨の書簡が残されている程、深い敬愛の念を持っていたのです。

アドルフ・モンティセリ《花瓶の花》、1875年頃、ファン・ゴッホ美術館

ゴッホのモンティセリへの敬愛と受容に関しては先行研究があります。
並川汎氏はゴッホのモンティセリ受容について、「ゴッホが傾倒しているモンティセリの姿とは、その生き様まで含めて必ずしも正確な情報に基づくものでは限らない、ゴッホが自身の頭の中で作り上げた“モンティセリ神話”であった」と述べています。

さらに宮崎克己氏は、並川氏の先行研究を踏まえ、モンティセリとゴッホの関係は、具体的な手法の影響と同時に「ある作品からある作品へという具体的なものではなく、色彩や絵の具の塗り方などについての、ゴッホの頭の中に醸成されたモンティセリの全体的なイメージからなのである」とまとめています。

頭の中で作り上げた“神話”を愛しひたすらにその姿を追いかけるというゴッホの姿勢は、浮世絵を通じて得たユートピアとしての日本を強く夢想する姿勢にも通じるものがあります。
原田マハ『たゆたえども沈まず』にもそのような表現があります。

浮世絵をパリにもたらしたひとりである林忠正に対して滔々と日本への傾倒を語り「自分を日本に連れていってくれ」と頼み込むゴッホを、忠正は「度を越した片恋である」とばっさり断ち切った上で、実際の日本ではなくゴッホ自身が夢想しているユートピアとしての日本を、新天地アルルで描くことを勧める場面。
私はこの場面が1番抉られるけれども好きですね。
史実がどうこうと細かく言うよりも、ゴッホの愛し方、すなわち“モンティセリ神話”を愛したように“ユートピア日本”を愛し、ひたすらにそのイメージを突き詰める行為の、純粋であり狂気的でもある様が分かりやすく、かつドラマティックな美しい場面だと思います。

イメージの純化としてのブログとゴッホへのシンパシー

ここまで、作品そのものの具体性ではなく全体的なイメージを追いかける姿勢について、先行研究を踏まえて反芻、純化、醸成、夢想と様々な表現で書いてきました。
卒論にまで選んでおきながら、何故こんなにゴッホが好きなのだろうと常々疑問に思ってはいましたが、自分の展覧会への向き合い方や、改めてゴッホの受容姿勢をおさらいすることで、ゴッホの受容姿勢にシンパシーを感じている部分があるからだとやっと自覚しました。

もっとも、ゴッホという画家の存在も現代において相当に神話化されているので、私もゴッホではなく“ゴッホ神話”を頭の中で強めているだけに過ぎないかもしれないですね。

ゴッホ的ひと活振り返り2017-2018

昨年のゴッホ展で印象に残ったのはこの2枚。
(目玉だった作品は意図的に外しています)

ゴッホ《種まく人》1888年、ファン・ゴッホ美術館


ゴッホ《蝶とけし》1889or1890年、ファン・ゴッホ美術館

展覧会のセクションとして、《種まく人》は「アルル 日本の夢」、《蝶とけし》は「自然の中へ 遠ざかる日本の夢」として展示されていました。
《種まく人》は構図面で浮世絵の影響がはっきりと見られ、ゴッホの理知的で分析家でもある面が伺えるかなと。
一方でこのモティーフ自体も繰り返し描いているので、やはり制作を通してイメージの純化作業が行われている現れであるとも思います。

《花とけし》については、単純に私がけしの花が好きだから。
遠ざかる日本の夢、という文脈でサン=レミ時代を眺めるのも面白い試みだと思いました。
浮世絵や日本の夢想から離れ、いままさに咲いている足元の花に目を向けるという意味で、印象派の先駆者であり体現者であるモネが、ジヴェルニーに自身の庭園を作り様々な花の作品を残したことと奇妙な偶然を感じます。

あと、ゴッホ展が開催されていた時期に三菱一号館美術館パリ❤︎グラフィック展国立西洋美術館北斎ジャポニズムが開催されていたので、19世紀末の雰囲気を多角的に感じることができたのはいい経験でした。

パリ❤︎グラフィック展はゴッホが所有していた浮世絵コレクションの一部が展示されていてテンションが上がりましたね!卒論を書く際に、このゴッホの浮世絵コレクションに全部目を通すという楽しいけど地道な作業をやったので感慨深かったです。

北斎ジャポニズム展については、さらっとしか観られなかったので言及するのは少し憚られるのですが、やはりゴッホとモネの花の絵はよかったな、というメモが残っていたのでそれだけ書いておこうと思います。

【修正とダイマ達】

↓5/14 ビュールレ・コレクション展のゴッホセクションをこの記事にまとめていましたが、いったん下げて改めてまとめました!

最近ルドン展にも行ったのですが、若干守備範囲とずれるためもう少し落とし込みが必要な感じです。
↓5/9 落とし込みました!

今回の記事は、先日病気がらみであまりにも悲しいことがあったので、元気で楽しかった卒論を書いていた時期を懐かしむところからスタートしました。
5時間ぶっ続けで書いて自分と向き合うことで、少し気持ちが落ち着いたような気がします。

でも卒論を読み返してみて、今さら盛大に年号を間違えてる部分を見つけてしまったのはちょっと恥ずかしかったです…なんで誰も気づかなかったんだ。

参考論文

並川汎「ゴッホとモンティセリ」『清春』第29号(1999年4月)、清春芸術村『清春』出版部、1999年

参考展覧会カタログリスト

宮崎克己「モンティセリ、セザンヌゴッホ」『モンティセリ:谷本浤朗氏コレクションより』、ブリヂストン美術館、1995年