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展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

THEドラえもん展2017ータイムマシンやもしもボックスがなくても

振り返りが全然終わらないですが、早速2018年のひと活初めをしてきました!昨日最終日を迎えた、THEドラえもん展2017です。

シフト制で働いているので展覧会は平日に行くことが多く、混雑にめっきり弱いので、最終日・祝日・家族連れ多数と混む要素しかないことが不安だったのですが、頑張って行って大正解な展覧会でした。

小さい頃からドラえもんが大好きで、 2002年のドラえもん展も両親にねだって連れていってもらったので、なかなか感慨深かったですね。

15年後の自分がひとりで展覧会を観に行くようになるとは、当然ながら当時は想像もつかなかったけれど、年月は確実に人を変えていくのです。

この時10歳だったので、これまでの展覧会遍歴の中でも割と初期の方だと思うのですが、比較的小さいうちに著名な現代アート作家の作品に無意識にでも触れていたのはすごくいいことだったなと今になって思います。

なので、2002年にも参加していた作家の作品は、過去作品も同時に展示されていたので嬉しかったですね。

村上隆ドラえもんの絵は青が綺麗だったなとか、奈良美智のドラミちゃんの絵はちょっと怖かったとか、幼いなりに作品がきちんと自分の中に入っていたことが思い出せました。物事にはちゃんと意味がある。

 

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村上隆《ぼくと弟とドラえもんとの夏休み》(部分)、2002

 

今回の村上隆の作品も圧巻でした!

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 村上隆《あんなこといいな 出来たらいいな》(部分)、2017

 

このどこでもドア部分が中心で最も目を惹くのですが、個人的には画面右下にぐっと来ました。

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藤子・F・不二雄先生と一緒にタイムマシンに乗るお馴染みの5人。

そしてさらに右下の、6人を見守るのび太のパパとママになんだか感情移入してしまって、冒頭から涙ぐんでしまったのでした。

色鮮やかな画面の中に、古代の恐竜も近所の風景も未来の道具も、子どもの成長を見守る両親も違和感なく一緒に収まっているのって、まさにドラえもんという作品の縮図なのではないでしょうか。

 

小さく精度の高いマテリアルの積み重ねで大きな物を構成するタイプの作品というと、増田セバスチャンの作品も近しいかなと。

これは増田セバスチャンなのに遠景写真しか取らなかった自分を呪いたい…増田セバスチャンのすごいのは、「カワイイ」マテリアルだけで別の文脈のものを破綻なくまとめあげる力があることだと思っているので、細かい部分も残しておきたかったですね…

参考までに、去年観てきた別作品の寄りの写真がこちら。

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増田セバスチャン《Point-Rhythm World - モネの小宇宙 - 》(部分)、2017

これはポーラミュージアムアネックスのフロア全てを使った作品のごく一部を切り取った写真ですが、スパンコールも毛糸もレースも全てがカワイイ・イズムで統一されているのが比較的分かりやすいかなと思っています。絵の具のようにカワイイを使いこなす的な。

今回の作品は、カワイイ見た目だけど砂漠に置き去りにされたぬいぐるみというちょっと暗いコンセプトで、それもまたよかったなと。

タイトル通りなので捻りのない発想ですが、古代兵器っぽいというか。

ドラえもんは親しみやすい友達のような保護者のような存在でもある一方で、原子力で動いている機械でもあることを思い出して、少しぞくりとしたのでした。この展覧会における最後の展示というのもいいですね。カワイイけどカワイイだけじゃない。

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増田セバスチャン《最後のウエポン》2017

 

西尾康之《OPTICAL APPARITION》も、生物と非生物の狭間に着目していて面白かったですね。プロジェクションマッピング、実はあまり好きではないのですが、この作品における使い方はきちんと意味があって良かったと思います。違和感が引き出されて脳みそが揺れた…

機械部分はロダンの《地獄の門》にインスパイアされているそうなので、また国立西洋美術館に行く時に思い出したいです(大体いつもスルーしてしまっていた)。

 

繰り返しになりますが、やはりドラえもんということで、小さな子どもがたくさん観に来ていたことはすごくいいことだなと思いましたね!ドラえもんという作品を大人が様々な角度から解釈しているからか、展覧会全体のトーンがほろ苦いというか、かなり切なさを感じる作品が多かったのが印象的でした。子どもがそういうトーンに触れて、何か人生の分岐点になったらいいな、なんて考えながら展示と子ども達を眺めたのも、自分の中では新しい感覚でした。

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山口晃《ノー・アイテム・デー》部分(2017)

4コマ目、変化は少ないけれど涙ぐんでいることがきちんと分かる。すごい。震える。コマ外で流れるドラえもんのび太の日常も温かくて切ない。

オチはめちゃめちゃキュートでしたけどね。チキンちゅーの衝撃は大きかった…

 

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梅佳代《私の家のドラえもんの写真》(部分)、2017

(部分も部分すぎて申し訳ない)

 

超・個人的な話なのですが、実はばやしこ家にはまあまあ最近までクリスマスにはサンタさんが来ていまして。

6歳離れた弟がいることもあり、私が高校卒業するまでは普通にサンタさん式でプレゼントを貰っていたのですが、本命のプレゼントとは別に、必ずドラえもんのカレンダーが付いていたんですね。

なので、この2枚目の写真のドラえもんシール、めちゃめちゃ興奮しました。

絶対同じのを見てるんですよ!同じシールが、よその家では長らく定着しているっていう、それだけのことなのに、なんだかいろいろ込み上げてきてしまって自分でもびっくりしました。

 

時の流れというものは残酷で、手を引かれていた子どもが自分の意思で展覧会に来るようになるし、永遠の別れもある。

でも思い出を辿る時、人の思考は軽々と過去と現在、そして未来をも行き来するんですよね。

そもそも、この展覧会を貫くドラえもんという存在そのものも、たった1人の自由な思考、想像から産まれたもの。

ータイムマシンやもしもボックスがなくても、人の思考は時空も現実も越えることができる!

そう思うと、生きていく上では切ないこともたくさんあるけれど、また顔を上げて歩けそうな感じがします。