placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

適応障害と診断されて丸1年経った日をどう過ごしたか

タイトル長いですね。
結論から言うと完全に落ちてしまって会社を休んでしまいました。
当日にドタ休みしてしまったのはこれで2回目です。

なんだか最近、涙が全然出ないんですよね。
そういう訳で、昨日もただただ起き上がる気力がなく、ベッドの中でうずくまったまま過ごしました。
もはや自分を責める気力もなかったです。

うつらうつらし、うっすら覚醒すると「ああ、また同じ日に同じことを繰り返してしまった」という言葉だけが頭の中にずっと残る。
それが嫌でまた眠りに戻る。
その繰り返しでした。

そうやって1日じっとしていたおかげか、今日は始業ギリギリにはなりましたがなんとか出社できました。
勤務場所の関係でいつもより15分ゆっくり出られたから間に合いましたが、そうでなければ完全に遅刻でした。

■去年と今年の心の動きを見つめ直す

今日、振り返りのこの文章を書きながら去年のことを思い起こしました。
去年の昨日は「とにかく楽になりたい」「消えれば楽になるのだろうか」という自分への問いで頭がいっぱいで、押しつぶされた状態でした。

いまは押しつぶされるような気持ちはおりません。ただ空っぽだな、という感覚が不安です。

仕事自体はやっぱり好きですし、なるべく自分が楽しんでできることの担当になれるように状況をコントロールするように気をつけてはいます。

それでもこうして時々、抜けてはだめな時に気力が抜けてしまうのは何故なんでしょうね…

出勤してしまえば頑張れるし、私は頑張っている自分が好きなんです。

でも頑張れない昨日のような自分も、どこか心の中で受け入れているような気もします。
それがいいのか悪いのかはわかりません。
諦念なのか甘えなのか…いや、適応障害は甘えではないです。そこは譲らないです。

心を揺らさないように気をつけていたら、本当に心が動かず身体も動かない日ができてしまった、ということなのかなと、今日働きながら心の片隅で考えていました。

きっとこれからも、私は心のどこかに穴が空いているまま走り続けていかなければいけないことを自覚しないといけないのだと思います。
ペースを落として歩けばいいのかもしれないのですが、私はすぐに走りたくなってしまうのです。

「動いていないと気持ち悪い」なんてかっこいいものではありません。
アイツ歩いてるよな、と指を指されたくないだけです。
基本、見栄っ張りなんですよね。

毎日たくさんのものを零しながら、落としながら走ってしまうからこそ、穴が空いていることを自覚しないといけないですね。
また突然電池が切れたように動けなくなってしまうことはできれば避けたいです。

やはり寒い日々は心も身体もつらいですね。
慎重に過ごしていたつもりでしたが、まだまだ心構えが足りなかったみたいです。

なんだかまとまりのない文章になってしまい、締めどころがわからなくなったのでこの辺りで終わります。
明日はきちんと仕事に行けますように。