placebo

展覧会の感想、適応障害で休職中の日々の日誌など。気持ちの揺らぎを見つめて自分のハンドリング方法を模索しています。

適応障害と診断されてから明日で1年が経ちます

あの日、雪が降らなければ

昨年、東京に珍しく大雪が降った翌日、私は職場に行くことを辞めました。
明日であの日から丸1年です。

このブログを読んでくださる方の多くが「適応障害」という検索ワードでこのブログにたどり着いているようです。
ですので、そんな現在の心境や、休職してすぐの真っ只中の頃に支えにしていた言葉などを書いてみたいと思います。

細かな経緯は下記にまとめています。
いろいろとありましたが、最終的に約7ヶ月の休職を経て転職しました。
現在は服薬しながらも転職先でフルタイムで働いています。

転職した職場では明るく振舞っているものの、少しの掛け違いでがくんと落ちてもまあおかしくはないよな…というアンバランスな精神状態を隠しつつなんとかやっています。

仕事場の人間関係でなるべく誰の心も揺らさないように、誰の派閥にもならないように細心の注意を払っていること。
営業になり、自分の言葉ではない言葉で喋らなければならない局面が増えたこと。
社員や売上、外部のデザイナーが思い通りにならないことを責める社長の言動をすぐ近くで聞き続けるポジションになってしまったこと。
クリエイター寄りの仕事や店舗勤務も回ってくるのでいまいち営業に専念できず、自分の軸足がよく分からなくなっていること。

そういう小さなことが積み重なっているのか、だんだんとまた朝起きるのが辛くなってきていることがとても怖いなと感じています。

前職と現職で家を出る時間が3時間も違うのでゆとりはあるはずですし、睡眠時間も確保できているのに、「そこはかとないつらさと焦り」は頭と心にずっとこびりついているんですよね。

なので、まだまだ調子が戻ったとは言えない状況です。
なんとか外では明るく擬態している、という感じなので家事はほとんどできていません。
仕事に頭のリソースが取られてしまって、上手くリセットできないという癖もまだ抜けていません。

そうは言っても仕事を続けていきたいので、仕事にまつわる感情にこびりついているものには、なるべく目を向けないようにしながらそうっと暮らしています。
目を向けないため、しんどさの渦中にいるときは言語化もしない(できない)です。
あまり良くないやり方かもしれませんが…

秒速五センチメートルと、心を守るということ

「(前略)気付けば日々弾力を失っていく心がひたすらつらかった。そしてある朝、かつてあれほどまでに真剣で切実であった思いがきれいに失われていることに僕は気付き、もう限界だと知ったとき、会社を辞めた。」

秒速五センチメートルの貴樹の独白が、去年の私の心の状況にぴたりと重なります。

そもそも仕事に行けなくなったのは、分かりやすい身体症状が出たわけではなく、ただただ「気力が尽きたのを感じ、またタイミング的にもいましか止まることができない」と判断したからなので、未だにずるかったよな…と自分を責めてしまう瞬間があります。

それでも「日々弾力を失う心」をなだめ、すり減っていく何かを補うために、私は芸術に触れ、文章を書き続けています。
誰かの物差しではなく自分が美味しくて好きだと思うお店でコーヒーを飲み、時には自分でもコーヒーを淹れます。

この記事を書くにあたり、自分のTwitterで似たようなことをわーっと書き散らかしたのですが、同じくブログを書かれているsophy365さん(id:sophy365)からこんなリプライをいただきました。

(前略) 自分の心をふっくらまあるく膨らませるためのルーチンというか、作法というか、お守りのようなもの、ありますよね。

自分では意識していなかったのですが、言われて初めて、ああそういうことだったのだな、と思いました。

仕事ではは動かさないようにしている心を意識的に動かしてあげること。
先人の知識に目を向けること。
心の動きの軌跡を残すこと。
自分の感覚を信じること。

私が私の心を守るためには、そういうことがとても大切で必要なことなんですよね。

休職に至るまでの間の苦しかった様々なことや、休職してからも不安の中にずっといたことそのものを「そんなこともあったけどいまは糧となっている」などとは決して言えません。

ですが、日々何故か削られれていると感じている「何か」を補い、自分の心を保つための私なり方法とゆっくり向き合えたことは、いま思えば私の人生においてはある意味では幸福だったのかもしれないとは思えるようになりました。

自分の1番の味方は自分だということ

休職してからすぐの頃に特に励まされた一節を書きたいと思います。

マンガ「青のフラッグ」24話の一節です。

だぁってさ、自分のやってきたことも考えも、
ぜーんぶ知ってるのは自分以外いないだろ?
いいとこもダメなとこも、
誰にも見せられない汚い自分も
良い訳も秘密もぜーんぶ知ってて
絶対裏切らない、死ぬまで離れない
(中略)
だから 大切な人に接するみたいにさ
いつも一緒にいて絶対そばにいて離れないで
そばにいる自分をさ
せめて心の中でだけでもいいから
優しくしてやってもいいと思わねぇ?
自分のこと全部知っている自分なら
一番欲しい言葉を掛けてやることも
できるんじゃないかなって

当時、あまりに疲れ切っていてベッドでスマホを眺めることぐらいしかできなかったのですが、この言葉は心にことんと落ちてきたんですよね。
のちに手帳にも書き写して、しょっちゅう眺めていました。

1年経ったいまも、前職を中途半端な状態で放り出した罪悪感がふと夜に襲ってきて、押しつぶされそうな気持ちになることがあります。

でも、自分だけが自分の1番の味方です。

去年のあの日雪が降らなければ、私は自分の心のなだめ方を知らないまま働き続け、すり減った心で誰かを決定的に傷つけていたかもしれません。

だから、あの雪の日の私の判断は間違っていなかったのだと、私だけは私の判断を信じ続けます。